人間ドラマが見たい!

将棋を指さないで、観戦だけを楽しみにしている人たちを、「観る将」というそうだ。言葉の発端は、梅田望夫さんであることは間違いない。このブログでも最初の頃、梅田さんの『シリコンバレーから将棋を観る』についてよく記事を書いていた。

印象的だったのが、深浦九段評で、ビジネスの世界でも通用しそうな人、アツい男として描写されていたことだった。反対に、人間ドラマであったり、個性的なキャラクターに焦点を当てるということについては、それほど熱心でなかった気もする。それができないくらい、今の棋士が均質化されすぎてしまっているのかもしれない。もっともこれは、現代人に当てはまることのようにも思えるが・・・

河口俊彦八段も、若手棋士とベテラン棋士を対比させて、若手棋士の無個性について嘆いていた。これはキャラクターだけでなくて、若手棋士の棋風に対してもだ。羽生世代の棋風については自分の印象とは違うということを前回述べたが、キャラクターについては河口八段と考えが軌を一にしている。

それでも河口八段が、是が非でも若手棋士のキャラクターに焦点を当てようと、もがき苦しんでいる様子が「対局日誌」では垣間見える。

C1順位戦で、羽生二冠が剱持松二九段に敗れたときの話である。羽生二冠は順位戦B2組への昇級がかかっていた。剱持九段はベテランだが、タイトルに絡むような棋士ではない。誰も羽生二冠が負けると思わないだろう。しかし結果は、剱持九段の勝ち。頭ハネで昇級を逃してしまった。河口八段はこう書く。



22日、負けた室岡と羽生達は朝まで飲んでいたそうだ。10代棋士でもそうなのかと、首を傾げたら、「いくら羽生君でも飲まずにゃいられませんよ」と室岡は言ったが、勝負で負けるのはダメージが消えるから、存外楽なものである。




河口八段には、若手棋士で人間ドラマを描けると思っていなかったのかもしれない。自分たちベテラン世代とは違う生き物なんだ、と。実にあっさりした記述だ。それでも、棋士の裏の顔を描きたいという思いもあったのだろう。

河口八段にとって、若手棋士というのは、自分の人生観を揺さぶる存在なのかもしれない。関川夏央が河口俊彦について似たようなことを言っていたのを思い出した。