「指さない将棋ファン」という思想④


第2章 佐藤康光の孤高の脳ー棋聖戦観戦記


第3章について述べたように、梅田さんのブログ観戦記はある種の挑戦である。ブログというメディアを使って、「指さない将棋ファン」を満足させなければならない。だが、ブログの特徴には2つの側面がある。情報を事実上無制限に提供をできるという旧来からある側面と、「双方向性」をもちつつスピーディに情報を伝えることができるという側面である。この2つを両立することは難しい。難しいというのは、時間的制約を受けるからである。つまり、対局中で伝えたい局面に遭遇したときに、熟慮を重ねたまとまった文章を瞬時に伝えられるかどうかということである。熟慮するということと、瞬時に伝えるということは両立しえないのである。
梅田さんが採った策は、熟慮したことを伝えることと瞬時に伝えるということを分離したことである。一見当たり前のことのように見える。しかしブログという特性を考えたときに、最善の策であるように思われる。ブログの記事それぞれを時系列に読むとは限らない。本であるのなら、前から順番に読んでいかないと話についていけない。だが、ブログはそうではない。各記事が独立しているのである。つまり、自分の興味のある記事へのリンクを踏めばいいだけである。すべての記事に目を通していることは、ある記事を読むための必要条件ではない。
実際に梅田さんが書いた記事を見てみよう。


羽生さんは物事を抽象化する名人だと、話していてよく思うのだが、「銀」という駒を「駒のつながり」における「つながりの糊」だと表現している。
妻の運転する車でサンフランシスコに向かう道すがら、「羽生さんの銀に相当するのは、佐藤さんにとっては何なのだろう」と、ふと興味が湧いた。



羽生さんと佐藤さんの名前が登場するのは、梅田さんが観戦している対局が佐藤棋聖に羽生さんが挑戦するタイトル戦だからである。この文章自体は、梅田さんがあらかじめ準備していた原稿である。つまり、熟慮した上での文章である。上記で述べたようなブログの第一の側面を満たした上で、将棋の駒という「見るだけの将棋ファン」であっても満足できる記事であると言えよう。梅田さんが饒舌に語りうるフィールドと将棋との結びつきは見られないが、それでも「見るだけだが物申す将棋ファン」としての役割を十分に果たしているように思われる。では、速報性というもう一つの側面についてはどうか。


ここで佐藤棋聖が長考に入ったのだが、次の一手は42分後に指された。
「1秒も考えなかった手だよ!」と渡辺竜王が叫んだ。△4二銀である。
「2四と3四に歩が垂らしてあるところに玉が近づいていくなんて、考えられない手だな。佐藤流ですねえ。羽生さんも1秒も考えてなかったんじゃないかなあ」



「見るだけの将棋ファン」でも、局面の特異性が伝わってくる文章である。それでいて速報性がある。全体としての一貫性がないという批判も可能ではあるが、一貫性は必ずしも必要条件ではないのである。

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