「指さない将棋ファン」という思想⑤


第四章 棋士の魅力―深浦康市の社会性


指さない将棋ファンと言うのは、具体的にどのような層なのだろうか。対談の中で、梅田さんはこう言っている。


ぼくは、変な言い方をすると、ちょっと、いままでね、生真面目に生き過ぎてるんですね。(中略)だから、最近は、ちょっと肩の力を抜いて、仕事と離れたことをやっていこうと思っていて。具体的には、あの、ぼくは将棋が好きでね。(中略)子どものころは大好きだったんですけど、二十歳のころから40歳のときまで、一切やらなかったんです。



学生であるならば、ネットを通じてでも将棋をすることができる。20代から40に入るまでやらなかったというのは、梅田さんが社会人になったからであろう。趣味に勤しむほど、余裕がなかったともいえる。そして余裕ができたからこそ、将棋の世界へと戻ってきたとも言える。指さない将棋ファンというのは、梅田さんのように出戻り組が多いんじゃないだろうか。
言い換えると、社会というものに向きあってきた人たちである。深浦康市九段は、梅田さんを含めた指さない将棋ファンにとって気になる存在なのである。深浦九段の発言を抜粋して見よう。


「小さい頃から責任感が強いというか、任せられたらやらなくちゃいけない、という気持ちの強い子どもだったんですね」
という深浦さんの言葉を思い出し、また「地元の期待」が向上心の拠り所になっているという部分もあわせて考えると、深浦さんという人は、じつに社会性を強く秘めた人なんだなと改めて思った。
棋士たちの集団を見ていると、ふと、シリコンバレーの技術者集団と似ているなと思うことがある。シリコンバレーの技術者連中の中にも、十人に一人くらいの割合で、すぐれて社会性を秘めたタイプがいる。こういう人たちが、のちに技術者出身ながら経営者に転ずることが多い。逆に若い頃からあまりにも社会性を強く持ちすぎていると、一つのことへの集中と没頭が途切れやすく、一途に一つの技術的専門を究めていく競争の段階で負けてしまいがちで、一流技術者になれないケースが多い。



経営者に転じるかどうかというのは、指さない将棋ファンを支える世代にとって切実な問題だろう。将棋界にも似た構造がある。つまり、日本将棋連盟という将棋棋士をまとめる組織の中で、運営側に回るかどうかという問題である。深浦九段の社会性に目をつけることによって、「指さない将棋ファン」に将棋の観戦を楽しませるだけでなく、将棋界という業界そのものをも楽しみの対象にしようとしているのである。

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