「指さない将棋ファン」という思想⑦


第六章 機会の窓を活かした渡辺明


梅田さんにとって、インターネットと社会性が「指さない将棋ファン」を引き込む手段であることは、これまで見てきたとおりである。これらは、梅田さんにとって饒舌に語りうるモノであった。だが、もう一つの武器が梅田さんにあった。それは、思想、哲学である。一見したところ、梅田さんと結びつきにくいモノである。そして、「指さない将棋ファン」にとっても馴染みが薄いかもしれない。だからこそ「指す将棋ファン」に受け入れられるためには、将棋と思想とを結びつける「橋」が必要である。梅田さんはふたつの「橋」を使って、それを巧みに行っている。
一つめは、インターネットにおける思想である。将棋界とインターネットの世界を梅田さんは類比的に見てきたが、この二つの関係はそれぞれの思想においても継承されている。


現代将棋というのは、リアルの世界はおろかインターネットの世界のスピード間よりももっと速く動いている世界です。インターネットの世界に流れる時間を「ドッグイヤー(七倍速)」と呼ぶように、現代将棋の世界を流れる時間は、『ドッグイヤー』の倍くらいのスピードで進歩、発展をとげる。(中略)なぜそのように時間が凝縮しているかというと、情報に関する革命的な変化が急激に起きているからです。



そう、情報の変化において、二つの世界は似ているのである。そして、そこにおける先駆者の思想もまた。


(前略)「量が質に転化する瞬間があるはず」という羽生さんの仮説とグーグルの思想が類似していることについて簡単に説明し、次のように続けた。
「そのグーグルに対抗できる日本最高の知性というのは、実は産業界にいるのではなくて、ここにいる羽生さんなのでしょう。そして羽生さんだけでなく将棋界の棋士の方々の、毎日の切磋琢磨の中で行われている研究と勝負の蓄積が結果として表現しているものは、グーグルが挑戦していることと、本質的にまったく一緒なのです。



思想というよりも、企業理念あるいは人生哲学と読んだほうがいいのかもしれない。ともかく、思想という言葉で語られているものを読み取ることができよう。
では、将棋において思想について語るということは、どういうことなのか。それを明らかにしているのが、金子金五郎というもう一つの「橋」である。


故・金子金五郎九段が「プロの最高峰の将棋とは何か」について語ったこんな言葉がある。
<<勝負という形式をとりながら、人間と人間との交りであると思う。(中略)生命をけずって、真底のものをさらけ出して交ろうとする人間の願いを将棋を通じて表そうとする行為のことだと思う。>>



「人間の願い」というのは、まさに思想のことであろう。将棋における勝負を、「指さない将棋ファン」に近づけて語るという試み、それこそが金子九段の役割である。そして文章に深みを与え、より効果的に魅了させる道具が、思想や哲学なのかもしれない。


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