「指さない将棋ファン」という思想⑧


第七章 対談ー羽生善治×梅田望夫


梅田さんが「シリコンバレーから将棋を観る」の中で試みたことをこれまで考察してみた。その上で、第七章を読んでみよう。そこには梅田さんがやりたかったことが語られている。その前に、羽生さんが梅田さんの試みをどのように捉えていたのかを見る。というのも、羽生さんがうまく咀嚼し明快に述べていると感じるからである。


羽生 (前略)今までは、将棋を世に伝えるための道は、決まっていましたからね。今回のことでまた、新しい道ができつつあるのかな、と。
梅田 なるほど、新しい道ですか。
羽生 一つには双方向性ということですが、これから先の時代、「ライブ」とか「今」とか「その瞬間」に、何をもって、どういうことを感じて、どう伝えるのかが、ますます大事になってくると思います。



師匠の二上さんが自分の著書の中で書いているが、弟子の羽生さんに本をたくさん読むことをさせたという。将棋がダメになっても、自分を社会の中できちんとポジショニングできるようにするためだそうだ。「双方向性」という言葉が羽生さんの口から出てきたあたりに、読書慣れというか要約を掴み取る能力を感じる。ともかく、ブログを象徴する「双方向性」が将棋の伝え方を変える、あるいは梅田さんが変えようとしているのだと受け取っているようだ。
むしろ、梅田さんのほうが旧来の枠組みにとらわれているんじゃないのかと感じるくらいである。


梅田 (前略)僕なんかは指せないかわりに、一つの大きな流れの中で「この将棋は美しい」とか「物語がある」というようなところに、感動しながら観ていたりします。



「物語性」とは、旧来のエンターテイメントの楽しみ方である。梅田さんに限らず、Web2.0の利点を挙げる人たちは声を揃えて言うーユーザーが与えられた物語に満足せず、参加すること自体に喜びを感じるようになった、と。
梅田さんのやろうとしていたことは、「指さない将棋ファン」に物語性を伝えることであった。その「橋」となっていたのが、インターネットであり、社会性であり、思想・哲学であった。
難しいのは、物語性と双方向性がうまく両立するのかということである。物語性を伝えるだけなら、旧来の観戦記があるはずである。中継ブログが行われるようになってもう長いが、梅田さんが要求するレベルではないように感じられる。速報性を中心に構成されているからだ。速報性が求められるブログに「指さない将棋ファン」が求めるものとは...?これは今後の課題であろう。

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