金子金五郎が唱える将棋教育と思想

金子金五郎といっても、知らない人のほうが多いであろう。のちに14世名人となる木村義雄と名人位を争っていた棋士のうちのひとりである。15世名人が大山康晴で、その前の永世名人である。大山さんですら亡くなって25年経つのだから、その一世代前の棋士を知ってるという人は少ないんじゃないだろうか。
ともかく金子金五郎九段は、将棋雑誌である近代将棋で長年「金子教室」という連載をもっていた。一局とりあげて、それを解説するというスタイルをとっていた。「シリコンバレーから将棋を観る」でも書かれているように、梅田望夫さんは金子九段のファンであったそうだ。ファンといっても、棋士としての金子金五郎に惹かれたのではない。その文体に惹かれたという。金子教室の中に卓越した加藤一二三評を発掘したことは、梅田さんの功績じゃないだろうか。かいつまんで言うと、今の加藤一二三九段に通じるものを少年時代に見出していたということである。卓見というほかない。
「金子教室」のスタイルは特徴的である。深い思想的な洞察を示すということだ。つまり将棋の世界だけで完結しそうなことを、非常に深みのある思想を添えて綴るのである。ここでひとつの疑問が浮かんだ。連載当初から金子九段はこのスタイルを貫いていたんだろうか。もしそうでないとすれば、どのようにしてあのスタイルが形成されていったのか。
「金子教室」の第一回は、近代将棋創刊号だと思っていたが、どうもそうではないらしい。


私の個人誌「将棋教室」は廃刊に決したが、永井氏の好意によって、私のために教室のページを相当に提供してくれることになったことは幸いである。



「将棋教室」については未見であるが、執筆活動は「金子教室」以前にも行なっていたようだ。調べてみると、坂田三吉が大阪名人を名乗ったことについての論評が、金子九段によって書かれていた。機会があればいずれ紹介したいが、今回は差し控えておく。
冒頭に、連載の意図が書かれている。

高段者の棋譜を初心の方々まで鑑賞させたい願いを以って、私は将棋教室誌に筆をとっていたが、このたび新らしい試みとして棋譜を一度分解してしまい、「教材」として再編成する方式をとってみた。
(中略)教材を進めつつ「大山は金得して勝がある」という結論(一種の批評)を引き出している。



ちなみに局面はこれ。
kimura-oyama.jpg
注釈が必要だ。上の局面で、大山八段(当時)が△6六角で金を取らなかったこと、もし金を取っていれば大山八段の勝ちだと、金子九段は言っているのだ。
この「所信表明」を、読者はどのように受け取るか。教材としての意図というのはわかる。将棋普及というのは、職業棋士に課せられた義務であろう。金子九段は当然のことを述べたに過ぎない。
注目すべきは後半で、どのような意図が金子九段にあったのだろうか。単なる批評を掲載したということを表明したのか。そうは思えない。棋譜を「再構成」し、「結論を引き出す」という論理的作業を示すこと、そしてそこに意義があると感じていたのではないだろうか。「新らしい試み」という言葉に、金子九段の並々ならぬ意気込みを感じるのだ。
私の思いつきの段階なので、きちんと検証してみないとわからないが、上記の文章から思索を前面に出すというスタイルの萌芽を見て取れる。

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