全冠制覇はどのように報道されたか②

全冠制覇の価値というのは、タイトル数が増えるにしたがって増してくるように見える。タイトル数が五つになって、ようやく記事にされる対象となったようだ。紹介する記事は、大山15世名人がはじめて五冠王になったときのものでない。三度目の五冠王になったときのものだ。内藤國雄棋聖からタイトルを奪取し、五冠王へ返り咲いたのだ。記事は近代将棋より。インタビューを行なうのは、棋聖戦を主催する産経新聞社の記者だ。


―五ツのタイトルを独占して、あと目標がないのでは。
名人「とんでもない。タイトルを取るということは難かしいことですが、タイトルを守るということは、それ以上に困難なことなのです。タイトル戦の挑戦者になるということは、その時の調子がいいからで、逆に挑戦を受ける側からいいますと、その時期に絶好調の人と戦うわけです。そのとき、自分にスランプがきていれば、苦戦をまぬがれません...」
(中略)五冠王となった名人は、このあと、王位戦が待ちうけている。挑戦者は27歳、いま売り出し中の米長邦雄七段。誰かがいった。勝負の世界に三人の化け者がいる。野球の王。相撲の大鵬。それに将棋の大山。



王貞治は打撃のタイトルで三冠王になり、横綱の大鵬は年間すべて優勝した年はないものの、六連覇を達成した。他のジャンルと比較することによって、その偉大さを見出す術がなかったというのが実情ではなかろうか。三冠王から四冠王、四冠王から五冠王へと、タイトル数増加に関わらず全冠制覇を維持していたからというのも、それまで大きく取り上げられなかった理由の一つなのかもしれない。
大山15世名人以前に将棋界で四冠王・五冠王はいない。囲碁にも、(将棋に相当するタイトル戦の意味での)タイトルの数が四つ以上になって以降、全冠制覇はいない。囲碁・将棋の世界で、全冠制覇の意味づけがこの時代に徐々に形成されていったのだろうか。

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