全冠制覇はどのように報道されたか⑤

羽生さんと大山・中原といった歴代の第一人者と何が違うんだろう。羽生フィーバーと呼ばれるくらい、七冠達成前夜は盛り上がった。将棋関連以外のメディアが取材を行なっていた。これは、最近の藤井聡太ブームにも近いものがある。対して、大山・中原両永世名人は、将棋雑誌で取り上げられるに過ぎなかった。正確に言えば、大山15世名人が五冠から陥落したときに、週刊誌に取り上げられたりしている。とはいえ、将棋メディアが中心を占めていた。いつから変わったのだろう。
やはり六冠というのが大きい。だれも成し得ていなかった。タイトル数が増えたということが一因とはいえ、定量的なインパクトはある。王座戦19連覇にしろ、今後達成するかもしれないタイトル数100期にしてもそうだ。五冠でも十二分に偉業だと感じてしまうのだが、時代背景、ワイドショーの普及、タイミング、偶然といった複合的な要因によって羽生フィーバーは形成されたとしか言いようがない。
羽生六冠時代の対談がある。行われたのは、最初の七冠挑戦に失敗したあとでである。インタビュアーは団鬼六。すでに小池重明についてのノンフィクション「真剣師小池重明」を発表していた。団鬼六を指名したのが、当時将棋世界編集長であった大崎善生。こちらもまた、のちに団鬼六のノンフィクション「赦す人」を執筆している。
この対談だが案外興味深く、含まれているサブストーリーも印象的であったりする。翻訳者であり文学者でもあった柳瀬尚紀さんとの対談本の話までしている。これもひとネタ書けるくらいの話なのだが、テーマから外れるので今回は省略したい。


編集長の意図としては羽生六冠王に対し紋切型の将棋インタビューより野放図なものをという狙いがあったのかもしれないが私は羽生名人誕生の時からこの二十三歳の青年名人にいちゃもんをつけるような記事を随分と書いて来たような気がするのである。
いちゃもんをつけるといっても他愛のないもので棋界の最高の歴史を誇る名人位を人生経験の未熟な青年が単に将棋が強いというだけで獲得するという事は一応、その名人の権威を疑ってかからなければならぬ、という事であった。



一貫して感じるのは、インタビュアーである作家自体が、六冠ということを取り上げること自体に戸惑いを感じているのでは、ということである。羽生六冠への「追いかけギャル」、「エイリアンのように思え」る、柳瀬さんに対し「将棋もああいう眼で見る時代になったのかと考えさせられ」た等々。よくよく考えれば、大山五冠の時代も、中原16世名人が六冠めに挑戦し失敗した時代も、将棋誌以外で取り上げられるほどのことではなかったのだ。
なぜ羽生さんだけこれだけ取り上げられたのだろうか。稀代の官能小説家であり将棋のパトロン的存在が、そんな疑問を戸惑いというかたちで表現していたことに、妙な親近感を覚えた。

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