河口俊彦「対局日誌」で注目された棋士たち

以前、トップ棋士になるような棋士は人間的な経験が豊富でなければならないという先入観が、河口八段にはあったと書いた。1983年頃の話である。谷川九段が21歳で名人になり、高橋九段が王位になった年である。谷川・高橋だけでなく、当時塚田・中村・南という棋士たちも勝ちまくっていたそうだ。
河口八段に心境の変化があったと形容したが、では誰に注目したのか。谷川九段、と言いたいところだがそうではない。中原・谷川については語りにくいと告白しているように、加藤一二三九段に名人戦を挑戦しているときでさえ、「対局日誌」のうちで多くページを割いていたという印象はない。対して高橋九段についてはかなりページを割いている。確かに王位戦に挑戦しているからというのもあろう。また懇意にしている内藤九段への王位挑戦であったり、やはり仲間うちの人物であった米長永世棋聖の弟弟子であったというのもあるだろう。それでも、強烈な個性があったというわけではない。最近でこそアイドルファンという側面を見せたりもしているが、当時にはそれはない。それでも高橋九段に注目していたことに、意外というよりも、なぜ?という思いが浮かんできた。
内藤九段との王位戦の観戦が取り上げられている。第1局であり、高橋九段の勝ち。


感想戦となったが、例によって高橋はほとんど口を利かない。
(中略)高橋だって黙っているのは、読んでいないからではないのはもちろんだが、それにしても総量に差があるのが感じられる。



はじめに断っておくと、王位戦だけしか高橋九段を取り上げているわけではないということだ。特に取り上げられていたのが、この王位戦であった。話を元に戻すと、現代であるならば、研究手順だから手筋を感想戦でこと細かく言わないということもありうる。その解釈がこの局面に当てはまらないであろう伏線が、記述箇所の前に張られている。


△7七歩から馬を切っての攻めは、やけっぱちの攻めではない。きれいに負けてみせようという、内藤らしい「形作り」だった。
(中略)次の一手を見て投了、という筋書きだが、残念ながら高橋には内藤の意図が読めてない。



内藤九段のほうがたくさん手を読んでいるというストーリーだ。しかし勝ったのは高橋九段。
このように書くと河口八段が内藤九段に肩入れしすぎという印象を受けるかもしれないが、決してそうではない。


やはり高橋が優勢である。
(中略)しかし、控え室の木村(徳)など居並ぶプロ達の見方は、内藤よし、である。ブランド名で物を買う女の子と同じで、内藤の名を信じ、内藤が勝つものと決めてかかっている。小生呆れ返って中平記者と碁を打ちはじめた。



高橋九段が強いと認めているのだ。1983年当時に河口八段が、ここまで高橋九段に肩入れしたのかはわからない。強豪若手棋士は他にもいる。ちなみに高橋九段につづいて「対局日誌」で頻繁に取り上げられるのが、中村修九段。次の年以降のことである。中村九段の次となると、羽生二冠まで飛んでしまう。中村九段はタイトル挑戦などがあったのに対し、羽生二冠は挑戦さえない。
「対局日誌」には記録として残したいという思いが込められている、という河口八段の考えを以前紹介した。棋士の強烈な個性を描くということよりも、トップ棋士になると予想される棋士を記録するという思いが働いたのだろうか。暫定的だが、いまはそう解釈することにしている。

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