なぜビジネス書は将棋に目をつけたのか?③

大山康晴に求められていたもの、それはどのようにトップ棋士になり、それを維持するか、あるいはひとつひとつの対局での心構えや戦略などだろう。これを人生哲学と名付けるならば、将棋連盟会長として、どのように将棋を普及させ、そして連盟を経営していくのかについての考えは、経営哲学に含まれるであろう。大山には、人生哲学も語れ、経営哲学も語れた。ある意味、オールマイティな存在であったのかも知れない。

他方、大山と同じ時期に書かれたビジネス書がある。著者は米長邦雄。『人間における勝負の研究』という表題だ。1980年と言えば、まだ1人のタイトルホルダーに過ぎなかった。四冠王になるのは数年後。升田や大山がビジネス書を書くのなら納得いくが、米長だ。米長の多才ぶりが発揮されているのかも知れない。

フォーマットはすでにビジネス書と遜色ない。「NON BOOKs」というビジネス書の1巻を飾っている。10年のノウハウからなのかもしれない。



たしかに棋士というのは、みんな自分の頭の中に将棋の図書館が入っています。(中略)私の頭の中にも、やはり図書館があるのですが、私の場合の特徴は、一番大切なものだけしか入っていないよう努力していることです。一番大切なものというのは、一つの局面があって、現在では、この手が最善手だとされているということです。




一言で言えば、「知」を売り物するという行為を、ビジネス書を通して行なっているということだろう。米長永世棋聖のこの本には、将棋を例にして、どのようにものごとを思考するのかということが詰まっている。

米長永世棋聖に限らず、トップ棋士はどのように物事を考えるのかというのが焦点になっているケースが多い。大山15世名人の頃よりも、将棋を知らなくとも読みやすい、そしてかなり思考のプロセスについて突っ込んだ記述になっているという印象を受ける。

続いて、米長永世棋聖らしい考え方が出てくる。



カンが必要になるわけです。天文学や物理学の新発見というのは、閃きとかカンとかが大きな働きをするそうですが、将棋の場合の新手にも似たようなところがあります。

(中略)カンというのは、一つの仮説でしょう。(中略)たしかに天文学上の新発見というのは、偶然性がかなりの割合を占めてはいるようです。しかし、偶然という要素と同時に、目の付けどころ、カンという働きが加わっていなければ、その偶然、いわばチャンスを活かすことはできません。そのカンが当たっており、チャンスをとらえることができれば、理論的な裏付けができて、一つの理論、定跡になります




「カン」であったり、ここでは登場しないが「運」であったり、米長永世棋聖の著書でよく出るキーワードだ。一般読者にも理解しやすい考え方が、他の分野でも成り立つことを説明している。「我々の分野でも当てはまるんじゃないだろうか」と思わせることが重要なのだろう。

「将棋関連のビジネス書」は、大山15世名人が種を撒いて、米長永世棋聖で生長したと言える。